昔は良かった。
長いことオジさん達の口癖で、長いこと若輩者にはネタにされる言葉。
僕も、20歳を超えた頃からふとした折に口から出てしまう言葉です。
ただまぁ、これって冷静に考えると、自分自身が悪くなっていってるだけだよなぁ、と。
口に出すたびにあふれ出る、しょんぼりを隠し切れません。
昔は本当に良かった
これだけ普及しているわけですから、「昔」って実際に良かったんですよね。
例えば中学生の頃なんて、目新しい技術に目を輝かせて。
例えば小学生の頃なんて、ありふれた技術に目を輝かせて。
例えば赤子の頃なんて、世の中の全てに目を輝かせて。
目の前をアリが歩いているだけでもワクワクした時期はありましたし、箸が転がるだけでも面白い時期はあったわけで。
自身の感性が昔は良かったから、面白いものが多かったんじゃないかなぁ、と思うのです。
今、「退屈」と感じる物でも、10代で触れる事ができたら、さぞかし素晴らしいものだったんじゃないかなぁ……。
感性は衰える
ゲームでもなんでも、数年単位で1つのものに触れていると痛感するのが、感性の衰え。
「慣れ」といったほうが正しいのかもしれません。
つまらないモノに対する「つまらなさ」が減っていく反面、おもしろいモノに対する「おもしろさ」も減っていってしまう。
だからこそ、おもしろいモノに出会ったときの感動は換え難いもの、ではあるのですけど。
「神ゲー」は思い出のままで
こういった「慣れ」は、素晴らしい作品へ久しぶりに触れた際、特に痛感します。
例えば、僕の趣味であるゲーム。
小学生の頃、寝る間も惜しんでプレイしていた神ゲー。
久しぶりに恋しくなって、文字通り、押入れから引っ張り出してプレイしてみたんです。
すると、悲しい事に
- ロード長すぎ
- テンポ悪すぎ
で出鼻をくじかれ、終いには
- 本質である「育成」がだるすぎ
と感じる始末。
バカみたいに遊んでいたゲームですから、面白いゲームであることは間違いないはず。
ですが、電源にかける手からは、覇気など全くなくなっていました。
7割方自分のせい
ゲームの例もそうですが、コンテンツの劣化って、大抵は消費者側である自分のせいだったりするんですよね。
むしろ、コンテンツ自体は改良を重ね、仕上がっていってたりして。
最近つまらなくなったな、と感じたときは、実際に「昔」に触れてみると新しい発見があるでしょう。
……プラス側に働くとも限りませんけど。
3割方コンテンツのせい
とはいえ、実際に悪くなっている、「昔はよかった」事もない訳ではありません。
そういうのまで自分のせいにしてしまうと、何も面白くなくなってしまうので気をつける必要があるでしょう。
この辺をひっくるめて、客観的に見れるようになることこそ、「精通」ってやつなのかな。
精進します。