どうも、1人の話ですら、集中していないと聞き流してしまうhkmです。
今回は、かの聖徳太子にまつわるお話。
日本史に疎い僕ですら、名前くらいは聞いたことのある聖徳太子。
8人から同時に話をされて、全員に的確な答えを返した「豊聡耳」なる伝説が有名ですね。
聖徳太子とは
まず、聖徳太子のお話をするにあたって、聖徳太子という人となりについて、おさらいしておきましょう。
僕みたいな、日本史に疎すぎて「おさらいする知識」すらない方もいらっしゃるかもしれませんし。
さて、聖徳太子。
様々な伝説とも言える経歴を遺した偉大な人物ですが、まず、聖徳太子を語るにあたって外せないのが「遣隋使を隋に送った」事でしょう。
「遣隋使」という行動もさることながら、それ以上に、託した手紙の功績が大きいとされています。
時は飛鳥時代。
当時の日本は、隋 (中国) と比べ、国としての力に大きく劣っていました。
そこで、聖徳太子は、隋へ人員を派遣し、文化を持ち帰ろうと考えました。
この時、隋へ派遣された方々が、「遣隋使」と呼ばれています。
ただ、聖徳太子は、隋へ人員を派遣するだけではありませんでした。
遣隋使に、「よろ^^」という旨の手紙を持たせたのです。
当時、格上とされる隋へ、下手に出るわけでもない「よろしく」という手紙。
当然先方はブチ切れるわけですが、近隣国の情勢を見ると、敵対していない国家を無碍に扱うこともできなかったようで。
遣隋使を送った翌年に、隋から答礼使と呼ばれる使者が送られてきて、その結果、中国との国交が対等な物になっていったという話です。
ちなみに、遣隋使については、聖徳太子が手紙を持たせた607年以前にも送られているという説があることからも、聖徳太子の偉業としては、「遣隋使を送ったこと」より、「対等な国交へと繋がる手紙を書いたこと」がふさわしいでしょう。
他にも様々な偉業を成してはいるものの、書いているとキリがないので割愛。
父は用明天皇
そんな「偉業を割愛されるレベルの偉人」である、聖徳太子のお父さんは用明天皇。
当時、廃仏教派と仏教推進派が争っているなか、推進派として尽力した人物です。
天皇としての在位期間は2年ながら、現代の日本における仏教の扱いに、多少なりとも影響を与えています。
父は欽明天皇、母は蘇我堅塩媛。
母は穴穂部間人皇女
父が用明天皇なら、母は穴穂部間人皇女。
細かい話ははしょりますけど、用明天皇の死後、皇位目当てに穴穂部皇子から襲われたりと、何かと苦労をされていたご様子。
その時に避難した地へ自分の名を送ったものの、名を呼ぶなど畏れ多いということで、皇女が退座したことから「間人と書いてたいざと読む」地名が京都に生まれた、なる逸話も残っています。
後世の人間が予測した部分も多分に含まれているでしょうから、真偽のほどは不明ですけど。
で、そんな穴穂部間人皇女の父が欽明天皇で、母が蘇我小姉君。
用明天皇と異母兄妹じゃねーか。
ダビスタだったら秘書に怒られる
当時として、皇家においては近親者との配偶も珍しいものではなかったようで、特に聖徳太子の時代あたりはこのような家計図になっていることも多いです。
とはいえ、父方の祖父が欽明天皇なら、母方の祖父も欽明天皇。
何なら、祖母の蘇我堅塩媛と蘇我小姉君も、苗字からなんとなく察せる通り、姉妹ですからね。
かのダービースタリオンをはじめとした、競走馬育成ゲームだったら
「強すぎるインブリード」
として、生産時にアウトですよ。聖徳太子。
妹キャラ攻略できるのって狂気だよね
以上、聖徳太子はインブリードが爆発した産物だったんだな、というお話でした。
にしても最近、どうも妹キャラブームが復権してきているのか、妹を攻略できるギャルゲーが増えている気もしますけど、冷静に考えるとすごい話ですよね、これ。
いかがわしいシーンに入るたびに
「いや、子供のことを思うなら避妊したほうがよくね?」
なんて事ばっかり考えちゃう。
僕みたいなネタにしたがる奴が世の中には絶対居ますからねぇ……。
ゲームなのにね。