どうも、割と何でもたべられる、hkmです。
とはいえ、昔からなんでも食べられるわけでもなく。
むしろ小学生のころなんて、「魚と野菜が嫌い」という、シンプルかつ凶悪な好き嫌いを持っていました。
感じる味は変わらない
肉、芋、米。
これしか食べられなかった小学生時代。
野菜や魚を美味そうに食う大人は、こいつらをどんな味として捉えているのか不思議でなりませんでした。
大人になると、注射があまり痛くなくなるように。
大人になれば、味の感じ方も大きく変わるんだろう、と思っていたんです。
ただまぁ、食べられるようになった今振り返ってみると、微塵も変わってないんだよね。
そりゃあ、体を構成している細胞だって一新されている訳ですし、全く同じ、ということは無いかもしれません。
ただ、思い出の中にある「吐きそうになりながら食べたトマトの味」と、「さっき食ったトマトの味」は同じなんですよね。
単純に、マズいと感じるその味を、将来の僕は美味しく感じた、ってだけ。
きっかけが必要
なので、好き嫌いを無くす、というか、嫌いなものを食べられるようになる。
それには、何らかのきっかけが必要なのかな、と思います。
実際、僕もいくつかのきっかけがあった上で、嫌いなものを食べられるようになりました。
というか、今となっては野菜とか結構好きやねんな。
人生波乱万丈ですし、全てを挙げればキリがありません。
特筆すべき事項に絞ると、
- 小学校のスパルタ給食
- 親知らずの抜歯
あたりが、僕のきっかけです。
1.小学校のスパルタ給食
まずは、懐かしき小学校の給食。
僕の時代ではすでに珍しかったのですが、「ちゃんと食べないと昼休みに入れない」というアレです。
時代背景もあるため、そこまで厳密なものでもありませんでしたが、まぁ食べないとお小言を言われる訳です。
で、特別気弱だった僕は、全部1回口に入れてみたりして。
すると、案外食べれたりするんですよね。
そもそも食わず嫌いだったり、相対的に好きじゃないから食べない、といったものは、「自分から進んでは食べないけど、出されたら食べる」程度には食べられるようになりました。
……嗚咽を感じるトマト以外は。
そう、結局「我慢して食べられる」程度にしかならず、好き嫌いはなくなっていません。
無理に食べさせる!というのは、最初から食べられる側が解決策として提案しがち。
でも、「好き嫌いを無くす」という観点から見れば、大して効果が無いんですよね。
2.親知らずの抜歯
嫌いだったものが好きになる。
本当の意味で「好き嫌いが無くなった」のは、親知らずの抜歯がきっかけでした。
18歳くらいだったかな。
左右共に、下の親知らずが
- 横向き
- 埋没
という役満間近。
大学病院の口腔外科で、
- 歯茎を切る
- 親知らずを砕いて分割
- ほじくり出す
といった経緯を経て、抜歯することとなりました。手術も手術ですね。
で、歯茎を切ると、術後は当然縫合するわけで。
上下共にボロボロとなった口腔状況で、固形物を食す気分にもならず、1週間ほどウィダーのエネルギーゼリーで過ごしていました。
それも、左右分けて施術したため2回。毎度夜になると血がドバドバでした。
で、施術1週間後、病院で抜糸をしてもらうと、まぁ、不思議な事が起こるんです。
あれだけ嫌いだった野菜が、ふと食べたくなる。
突然レタスがめちゃくちゃ食いたくなったあの瞬間は、6年経った今でも鮮明に思い出せます。
とはいえレタスなんてその辺に生えている訳も無く。
仕方なく、歯科大学の近くにある喫茶店でパンを食べたのですが、これがまたアホみたいに美味い。
正直、パンすら「嫌い」な部類だったはずなのに、今まで食べたものの中でも5位には入る美味さになってる。
それからはもう、大抵の物は「好き」と言える程度に舌が受け入れるようになりました。
激しい吐き気すら催した、あのにっくきトマトも、今ではたまに食べたくなるレベルに。
絶食最強。
さて、これで僕の好き嫌いはほぼ無くなった訳ですが、これって、無くなったのであって無くした訳ではないんですよね。
「無くそう」という働きかけのもと実施した、1年にも及ぶスパルタ休職は、結局きっかけと我慢を提供しただけで。
本来の意味で無くなったのは、ほんの1週間の不可抗力。
「無くす」のはできなかったのに、気付いたら無くなっていたんです。
多分、この絶食が「食のありがたみを感じる」ための意図的なものであれば、別に好き嫌いが無くなるということも無かったのではないでしょうか。
無理しなくてもいいんじゃない?
結局何を言いたいかといえば、
「無理して嫌いなものを食べなくてもいいんじゃない?」
って。
そのうち食べたくなるかもしれないし、そもそも食べなくても死にはしないし。
塩分と炭水化物とたんぱく質取っとけばなんとかなるっしょ。
というかこれって、食べ物に限った話でも無いですよね。
何をするにしても、強制させると成長速度が遅くなるというか。
「夢中」に「努力」は敵わない、っつーありがたいお言葉がまさにそれ。