どうも、アニポケ世代、hkmです。
先日、「劇場版ポケットモンスター キミにきめた!」を観てきました。
……観てきた、のですが。
思ってたのとちょっと違ったので、それについての感想をば。
個人的にはコレじゃない感があったので、今回はネタバレありです。
どこかで視聴を予定している方は、ブラウザバックのがいいかも。
求めていたのはこれじゃない
観覧後、最初に思った感想としては、「これじゃない」というもの。
「面白い」「面白くない」より、違和感が先に来た形です。
要因としては様々だとは思うのですが、特に印象的な点としては
- 説明不足
- 光彦ショック
- ターゲットがブレてる
- サトシもブレてる
の4つ。
説明不足
まず、何かと説明不足なところが気になりました。
そもそも、アニメ版ポケットモンスターとは、別の世界のお話であることとか。
最後のシリアスシーンが、映像の雰囲気を優先するばかりに、意味のわからないものになっていたりとか。
世界が違う点に関しては、タケシとカスミが出てこなかったり、帽子のデザインが変わったりで、なんとなく理解はできたので、まぁ良いとして。
盛り上がりの要点になっているシーンが、意味わからん状態なのは少しいただけません。
僕の理解力が乏しいだけなのかなぁ……。
サトシが死にかけている状態、わけわからん
物語終盤、マーシャドーに操られたポケモン達のわざを食らってサトシが瀕死になるシーン。
ピカチュウとの絆の力で、本来であれば絶命しているであろうサトシが無事帰ってきた!という感動のシーンなのですが、僕の理解力では意味がわかりませんでした。
死のふちから返ってくるのは、「ホウオウが3匹のポケモンを蘇らせた」というエピソードがあったため、まだホウオウの力が絡んでるのかなー程度には見て取れた。
ただ、その前の「サトシが消えていく様」がいみわからんのです。
サトシが透けて、最後には光となって一旦消えるんですよね。
あの世界はこの世界とは似て非なるものだと思うので、「ポケモンの世界における死は、光となって消える事」だという説明が出来れば百歩譲って道理は通るんです。
でも、ちょっと前の感動シーンで、レントラーさん普通に凍死なさってるんですよね。トレーナーを寒さから庇って、っていう名誉のやつ。
じゃあサトシのそれはなんなんだ、っていう。
視聴者層を考えた結果、流血みたいな表現は絶対にしない、というのは十分承知しているものの、他に表現があったのではないかな、と。
光彦ショック
物語後半つながりで、ピカチュウの心の声が聞こえちゃうのも、個人的には違和感がありました。
絆を確かめる重要なシーンなのですが、そういうシーンだからこそ、仕草や「鳴き声」に精一杯の感情を込めて表現していたのが、アニメ版ポケモン。
でも、映画版、尺の関係かはわかりませんが、喋っちゃうんですよね。
事実、心の声が聞こえたとしても、サトシの幻聴だったとしても、積み重ねてきたものを崩してしまった感じがして、僕は衝撃を受けました。
賛否両論あるんじゃないかなぁ、あのシーン。
ちなみに、声優さんが大谷育江さんってのもあって、めっちゃ光彦の声で喋ります。
致し方なし。
ターゲットがぶれてる
そもそも、見せたいターゲットとする層がブレブレなのも気になるポイント。
子供と懐古勢のどちらも取り込もうとした結果、どちらも取り込みきれていない作品になってしまっていました。
子供は置いてきぼり
まず、子供はそもそも話の流れがよくわからんのではないかな、と。
まさしくこれも、先ほどの「説明不足」の一環。
「キミにきめた!」の物語において、序盤は、初代アニメ版ポケットモンスターの流れを汲んでいました。
最近アニメ版ポケモンに触れた子供へ、サトシはこんな旅をしてきたんだぞ!という回想的な部分を作りたかったのでしょう。
が、時間の関係上、すごい早足でシナリオが進む。
紆余曲折無く、キャタピーが捕まって、トランセルになって、バタフリーになって。
最後にはサトシが「行って来い!」と群れへ放すシーン。
友情と別れを表現した、感動のシーンのはずなのに、10分でこれを纏めちゃってる。
キャタピーとサトシの友情どころか、そもそもキャタピーがバタフリーに強い憧れを持っている描写も極わずかで、テレビ版見てないと「ポカーン」以外の何物でもないはず。
吸収の早い子供ですら、シナリオに追いつくのは一苦労ではないでしょうか。
あ、初代アニポケを知らない大人は絶対無理。
純粋な懐古勢には違和感ありそう
で、じゃあ「若年層を蔑ろにした代わりに、懐古勢へぶっ刺さる映画にしたのか」といえば、そうでもない。
後半のオリジナルエピソードへ繋ぐ手段として、そもそもの登場人物や、話の流れが初代とは全く別物なんです。
懐古しに来た大きなお友達は、「タケシとカスミを出せや!」となること請け合い。
基本的には保守的な場合が多いので、ピカチュウが光彦ボイスで喋るのにも人一倍違和感を感じるはずです。
「慣例をブチ壊す」映画なんですよね。
サトシもブレてる
さらに、主人公のサトシもブレ気味。
テレビ版ポケモンは、サトシの成長が見所の一つなのは間違いありません。
製作側も、そこに重きを置こうとしてた。
ただ、その結果が、「映画一本にアニメ十数話分の成長を詰め込む」というものだったんです。
結果、感情の起伏や、試行錯誤の速度が速すぎて、サトシが超絶ブレブレ人間に見えちゃう。
2時間のうちに、サトシの成長を3回くらい描こうとした結果、芯の部分がころころ変わる。
お前、さっきと言ってること違うやないか、っていう。
特にサトシを気に入っている人ほど、違和感があるんじゃないかなぁ、なんて。
同行者の評判は良かった
と、個人的には「想像と違った」ポケモン映画、「キミにきめた!」。
ただ、この感想は、アニメ版放送時に幼稚園児~小学生だった人間のもの。
当時、すでに30代だった同行者の評判はとても上々でした。
何回か泣いてた。
スポンサードリンク
これぞ賛否両論
ということで、まさに「賛否両論」な映画なのでしょう。
実際、バタフリーのシーンなんかはアニメ版を思い出してしまい、胸に来るものもありました。
素材はめちゃくちゃ良いのに、味付けが僕好みじゃなかった、ってだけなんだと思います。
期待してなかった銀魂が面白かっただけに、期待していてしっくり来なかった落差を強く感じちゃってるのかな。