『天気の子』メインビジュアル

この記事では『天気の子』をしつこいくらいに『君の名は。』と比較します。

ストーリー的なネタバレは極力避けましたが、どんな演出があるのか等には触れているため、可能であれば鑑賞後の閲覧を推奨

前作(君の名は。)の核心部分にも多少触れるため、「天気の子」だけでなく「君の名は。」も鑑賞した上でごらんいただけると幸いです。

  1. 天気の子は駄作じゃないよ
  2. でも評判はあまり良くないよ
  3. なんでかな?
ぼく

別にどっちも見ないってんならそれでもいいんだけど

天気の子は決して『駄作』ではない

大前提として、天気の子が面白かったかと聞かれれば普通に面白い映画だったと思います

ストーリーの大筋はわかりやすいし、映像もキレイだし。(核心部はむしろわかりづらいけども)

テンプレすぎる内容でもなければ、突拍子が無さすぎるわけでもないし。

今回は、なんで面白いのにバズらなかったか?っつー話。『君の名は。』ほど評判良くないですもんね?

ぼく

検索候補に「駄作」というキーワードが出てきてしまうほど

ストーリーにキャラが動かされてしまっている

天気の子では、登場人物達がストーリーに動かされている印象を受けました。

かの「君の名は。」は、いわば『不器用なイイ男』『不遇なイイ女』を同じレールに乗せたらこういうストーリーが勝手に生まれた!みたいな映画だと思うんです。

対して「天気の子」は、あくまで『こういうストーリーを書きたい!』という思いがあり、キャラが結論へ導くための台詞を言わされているように感じます。

月並みな表現ですが、キャラクターが死んでいるような思いは上映中ずっと漂っていました。

観客が登場人物に惚れられない

キャラクターを上手く見せられていない天気の子では、観客が主人公やヒロインに感情移入しづらい

心のそこから惚れることができません。

「相思相愛」の理由を納得しづらい

「君の名は。」は、観ていてどこか「そりゃ瀧くんは三葉に惚れるよ」「そりゃ三葉は瀧くんに惚れるよ」なんて思いがある訳です。

これは単純に、観客自身が「瀧くん」「三葉」に惚れてしまっているから。

対して天気の子だとキャラクターへ惚れきる前に、相思相愛の理由を納得する前に、ストーリーが動き始めてしまう

結果として、どこか薄っぺらいお話に感じてしまいます

そりゃあもちろん現実の恋愛に理由なんて必要ないのでしょうが、これは創作物語だからなぁ……。というのが正直な感想。

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前作『君の名は。』を意識しすぎている

「天気の子」は、「君の名は。」を強く意識した映画です。

もちろんそれは当然で、経験的にも商売的にも、絶大な成功例を意識しない理由はどこにもありません

ただそれにしても、ちょっと意識しすぎているかな、と。

誰よりも製作スタッフが、「天気の子」を「1つの独立したアニメーション映画」として捉えきれていないように感じました。

なんか「君の名は。」ありきと言うか。『「君の名は。」を作った奴が作った映画』にしないといけないというプレッシャーを感じているのかも。

隠し要素に力を入れすぎている

「天気の子」は、隠したファンサービスに力を入れている映画。

パラレルな並行世界として「君の名は。」のキャラクターが概ね勢ぞろいしますし、ソフトバンクの「お父さん」キャラと演者の関係など、観客主導のテーマパーク的な面白さが詰まっています。

問題はその代償として、キャラクター掘り下げの時間を使ってしまっている点。

これが前述の「生きていないキャラクター」に繋がってしまっているのかも。

主人公同士の時間が薄くなる

隠し要素を入れて、伏線を用意して、キャラの境遇を説明して……。

その結果、描けなくなったのが「相思相愛になるまでの感情の機微」。きっかけがあって、すぐに次ステップへ進んじゃうというか。

観客が観たいものって「若者の世界を巻き込んだ大恋愛」だと思うんです。ぶっちゃけ出歯亀根性のソレですから、大事なのはどちらかと言えば「若者の大恋愛」のほう。世界を巻き込んだはオマケな訳ですね。

でも、天気の子が優先したのは「世界を巻き込んだ」のほう。微妙にニーズが掴みきれていないように感じるんですよねー……。

ぼく

一消費者だから好き勝手言えてるってのは重々承知してます

あえて『違うこと』をしようと考えすぎ

「天気の子」のパンフレットにおいて、新海誠さんのコラムは、まず「君の名は。」に寄せられた否定的な意見から始まります。

おどけた文体にはしてありますが、結局長々と『「君の名は。」はこう怒られたから「天気の子」はこうしました!』っつーお話が並んでいるわけです。

でも人間って、「どう面白かった」より「どうつまらなかった」かの方が原動力になります。しょーもない生き物です。この記事だってそうです。

その「怒られたこと」は、怒る人以上に気に入っている人がいるはずなんです。そうでなければあんなに流行しないんです。

つまり『メンタル弱いんならエゴサすんなよwww』って。自分でいい所潰しちゃってるよおおおおおおお!!

ぼく

僕は意地でもエゴサしない派です(豆腐メンタル)

「ビジネス」を意識しすぎ

「天気の子」は、今までの新海映画以上に「商売」を意識した映画です。

もちろん製作にはお金がかかっていますし、スポンサーだっている訳ですから、商売を意識するのはプロとしてむしろ当然でしょう。

ただ、天気の子では「ここを宣伝材料にして欲しい!」みたいな部分がちと多い。しかもかなり優先されてる。それこそソフトバンク犬とか声優まんまの名前のキャラとかね。

宣伝には宣伝のプロがいる訳ですから、宣材の発掘はそちらにお任せして、自分で面白いと感じられる映画にすることを第一に作って欲しかったのが著者の本音。

ぼく

『「君の名は。」の次回作』なんてどうしてもお金になるからしょうがないんだけどね

転換場面のインパクトが無い

テンポの良い場面転換や起承転結の転は、新海誠映画における魅力の1つ。

「天気の子」でもそれは例外じゃありませんが、今作ではどうにもその『転』にインパクトを持たせられていません

その作品を代表するような、印象的なシーンが無いんです。

「理不尽な暴力」を最初に使ってしまっている

「起承転結」における「転」って、それまでにやっていないことをやるから転換になるんだと思うんです。

例えば「君の名は。」では、誰も説得に応じてくれなくて(起)、でも助けたくて(承)、だから自分にも他人にも少し暴力的な手段に出る(転)ワケですよね。

でも、素手による理不尽な暴力をまず「起」で使ってしまっているのが天気の子。

素手による暴力は負の印象とはいえ親近感のあるもの。キャラの行動に実感を伴う、効率的な転換方法を、作品序盤で使っちゃってるのが勿体無いというか。

ぼく

それ以上の「転」を用意しなきゃいけなくなりますよね

「拳銃」は日本で馴染みが薄すぎる

じゃあ転どうすんの?ってなったときに、強い手段の1つとして「拳銃」が使われました。

いや、拳銃なんて撃ったことあるヤツ少数じゃん。撃たれたことのあるヤツなんてさらに少数じゃん。実際どうなるかなんてわかんねーって。

キャラへの感情移入が薄い中、実感の湧かない暴力を用いられても……。そんな気持ちで、どこか他人事になってしまいました。

効果的な「雷」を雑に使っている

対して、作中で警官から逃げる際に用いる『雷』はかなり効果的だったと思うんです。

日本人なら誰だって見た事がありますし、近くに落ちるだけでもかなりの恐怖感を感じる自然災害。

でもなんか、雑に1回使われただけだったよね。掘り下げも無かったし。あそこにもうちょっと時間割いても良かったのでは。

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【まとめ】欲張りすぎ

  1. 『君の名は。』くらいの経済効果を起こしたい
  2. 話題になるような面白さを意図的に提供したい
  3. でも描きたい、譲れないストーリー(結)案があった

→結果、『映画としての面白さ』を蔑ろにしてしまった

結局流行しなかったのは、ここに尽きるんじゃないかなと。

確かに興行収入はスゴいことになった天気の子。

でも、その殆どが「天気の子が面白いから」じゃなくて、「君の名は。が面白かったから」観に行ってるんですよね。

ぼく

ファイナルファンタジー7が名作すぎて、次回作の8がめっちゃ売れたあの法則と同じ

次回作には期待できそう

以上が、著者が前情報を一切遮断して「天気の子」を観たときに感じた感想。

おそらく今回の天気の子で、「君の名は。」の功績にしがみつきすぎるのは無くなると思うんです。

今、ちゃんと新海さんに次回作を作るモチベーションがあるなら、程よく成功経験を活かした面白い映画を作ってくれるんじゃないかなぁなんて期待してます。(上から目線)