どうも、隠れ原作厨、hkmです。
いわゆる原作厨と呼ばれる人間が、まだ放送されてもいないのに
コミック原作のアニメを駄作と切り捨てる事が多い理由。
そして、読んでもいないのに
アニメ原作のコミカライズ作品を駄作と切り捨てる事が多い理由。
結果として原作至上主義になる事も多いhkmさんには、思うところがあるので記事に。
原作厨を定義する
そもそもこの記事を執筆するにあたって、原作厨とは何か、という定義を行わなくてはなりません。
これは原作と厨に分けると理解しやすいでしょう。
まず、原作といっても様々です。
この記事においては、「アニメーション作品の原作となったマンガ、小説」を指しましょう。
そして厨。
これは厨房の略で、中学生を表す「中坊」の誤変換、そこから転じた隠語です。
インターネットスラングとしての厨房(ちゅうぼう)は、インターネット上で幼稚な発言、自分を誇張したり自慢というような行動を行う者を指す蔑称である。中学生を指す「中坊」から隠語化され「厨房」や「厨坊」となった。「厨」、「房」と略されることもある。
▲まさか該当するページがあるとは
厨房に関しては、今では広い範囲に浸透した(してしまった?)言葉です。
その為、単純な蔑称の一つとして扱われることも多いですね。
つまるところ、原作厨とは「原作が好き過ぎる奴」という考え方で差し支えないでしょう。
どこからが好き過ぎなのか、という程度は人によって様々です。
人に押し付けるようであれば好き過ぎだ、と考える人もいる。
比べれば好き、というだけで好き過ぎだ、と考える人もいる。
ただ、アニメ作品より原作の方をよしとする、という点が共通している事はご理解いただけるかと。
ということで、この記事における原作厨とは
「アニメと比べて原作の方を好きになる事が多い」
という方を総じて呼称する単語、とさせていただきます。
これだけだと厨でもなんでもないけどね。好みの問題だし。
ぼく、怖い記事じゃないよ。
作品のジャンル分け
さて、話は少し変わりまして。
二次元としてのアニメやマンガ。
そして三次元としてのドラマなど。
これで比較を行い、やれ2次元がいいだの、3次元がいいだの。
そんな日常をよく拝見します。
コミュニケーションとしては正しい姿でしょう。
ぼくも2次元がいいです。
……ですが、作品のジャンル分け、として考えると少し疑問が残ります。
こういった作品を消費していて思うのが、「時間」というものの重要性です。
時間の流れ
時間の重要性。
アニメなんて見てないで本を読め、だとか。
そういう話ではなく、
- 物語の中で経過している時間
と、
- 現実世界で経過している時間
の関係にあります。
マンガとアニメを用いて説明しましょう。
マンガ
例えばマンガ。
優秀なコマ割や台詞回しはタイミング、すなわち間を作ります。
ですが、その間の具体的な時間は読み手によって千差万別。
作家は「長い間」「短い間」を作り分けることを容易く行います。
ですが、それは相対的なものです。
絶対的な「1秒間の間」を作ることは出来ません。
「……。」
この沈黙を1つとっても、1秒である人がいれば、2秒である人もいる。
中には10秒である人もいるでしょう。
これは各々、読み手の感じる快適な間、理想的な間が違うからです。
作家が手を加えれば、1秒である人の間を3秒に。
そして同時に、2秒である人の間を6秒に変える事は出来る。
ズブズブの素人でも、ただ間を長くしたいだけ。
それなら、
「……。……。」
これで目的は達成されるでしょう。
作品の中で、その世界が感じている時間も等しく長くなっているはず。
でも、全ての人の間を等しく4秒には絶対にできない。
「(ここで4秒待つ)」
なんて書いても、4秒なんて待っては貰えません。
そもそもそれを間と呼ぶ事は無いでしょう。
このルールはマンガだけではなく、活字などにも当てはまります。
あえて極端に書くのであれば、長いか、短いか。
間において、表現出来るのはその差のみ。
つまり、総じて「相対的な時間」が流れているのです。
アニメ
そしてアニメ。
アニメーションとは動画です。
定められた時間に定められた枚数の画像を表示するアニメーション。
経過する時間は不変です。
そこには製作者の理想的な間のみが存在します。
豚が観ても、御年3歳の女性が観てもなぎさとほのかは40秒程度で変身するのです。
ここには「絶対的な時間」のみが存在します。
製作者の想定した環境であれば、どれほどの有識者だとしてもプリキュアを5秒で変身させることは適いません。
これはアニメだけでなくドラマなど。広くは講義、セミナーにも当てはまります。
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相違
上記で挙げた相対的、絶対的な時間。
これはマンガとアニメの大きな違いです。
そして、この差こそが、原作厨を生み出す元凶ではないのか。そう考えています。
相対的な時間の利点
まずは、マンガや小説などの相対的に時間が流れるもの。
これは兎に角、受け手が作品を紐解きやすいという特徴があります。
理解せずに進むことが無ければ、理解したのに待たされることも無い。
速すぎて見逃すことも無ければ、遅すぎて間延びすることも無い。
時間における最適解は個人で違うためです。
絶対的な時間の利点
次に、アニメやドラマなどの絶対的に時間が流れるもの。
こちらは、受け手全員が同じ体験をしているということが特徴です。
マンガもアニメも好きですが、会話が盛り上がるのは断然アニメです。
これは受け手の感覚がすでに共有されているからです。
更に言えば、現代のマルチメディアなドラマ、アニメなどについて。
これは、聴覚からの情報もあるために理解しやすい、という特徴もあります。
マルチメディア(英語:multimedia)とは、複数の種類の情報をひとまとめにして扱うメディアのことである。一般的には映像や音楽など動的コンテンツを含むイメージで捉えられることが多い。複合媒体と訳す。
教科書がありながら、師が講義を行う理由はここにもあるでしょう。
師と生徒が同じ時間や経験を共有するため、質問も本質を捉えたものになる事が多いです。
生徒同士の感覚が共有されている利点もあります。
そして五感は多く使えば使うほど、理解が進み印象に残ります。
マンガよりアニメの方がSNSで拡散されやすいことも、これらに起因しているのではないでしょうか。
そしていざ拡散されると、アニメ作品は「面白そうに見える」訳ではありません。
実際に「面白くなる」。
コミュニケーションツールとしての側面も持ち合わせています。
原作厨がアニメ化を嫌う理由
ようやく本題ですが、この時間の流れ方の差を意識せずに作られている作品があるのです。
例えば4コママンガ。
これは同じ大きさのコマでも「間」の差が激しいものです。
よほど技術である作家でなければ、作品内における間の差ですら個人で差異のあるもの。
それを絶対的な間に統一する以上、どう足掻いても万人に完璧を提供する事は適いません。
であれば、音や映像、脚本などから、アニメにしか出来ない演出で違うアプローチをしないといけない。
これをしっかり行わないと、原作をただ劣化させただけ、などといった評価を受けることになります。
原作は「引用」するものであり、「模倣」するものではありません。
ここが疎かになっている作品に触れ続けている方。
特に、愛していた作品がアニメ化し、そのまま駄作になってしまった方。
そういった方は、アニメ化へ好ましい印象を持ち合わせていない場合も多いでしょう。
アニメ作品のコミカライズ(漫画化)などを行う場合も、ここが粗になっていることが多く感じます。
逆説
逆に言うと、原作と時間の流れ方が同じ作品は平和に終わることも多いです。
ドラマのアニメ化、ライトノベルの漫画化などがこれに当たります。
代表的なものでは、時をかける少女など。
小説が原作ではありますが、ドラマがしっかり作りこまれていた。
そのおかげで、アニメ映画では見事に続編として昇華されています。
ただ、アニメ作品はキャラクターコンテンツとしての側面も強いです。
その為、ドラマ化ですと評価の低いものもままあります。
リメイク作品で声優さんが変更になるだけでも一波乱ありますし、当然と言えば当然でしょうか。
これは売り方の問題ですので、今回では割愛します。
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愛されるアニメ化
古くから愛されているアニメ作品は、差の理解の部分が非常に良く出来ています。
例えば美少女戦士セーラームーン。
20年を超える歴史のある作品ですが、今もなお世界中で愛されています。
実は、原作とアニメで設定に多数の差異がある作品なんです。
これはしっかり差を紐解き、
- 受け手が誰なのか。
- 受け手に何を伝えたいのか。
について考えた結果だと言えるでしょう。
このような作品は、原作ファンにはアニメの評判があまり良くありませんし、逆もまた然りです。
ただ、駄作と称する方はなかなかいらっしゃらないでしょう。
密接なメディアミックス
今回の課題を解決する回答の一つとして、
企画段階からメディアミックスを視野に入れる
というものがあります。
わかりやすい成功例ではラブライブ!など。
ラブライブ!の原作は、アニメでもソーシャルゲームでもマンガでもありません。
サンライズ、ランティス、電撃マガジンの用意した「企画」なのです。
その企画に則って製作されたアニメ、ゲーム、マンガや音楽CD。
枝分かれの頂点に企画が存在すれば、足りない部分を補い合う関係にする事が可能です。
演劇と台本
企画段階からメディアミックスを視野に入れる。
このわかりやすい例は演劇と台本の関係にあります。
演劇における台本とはそもそも、進行を文字におこしたもの。
極論ではありますが、究極的に演劇化を見据えた文芸作品と捉えることもできます。
そして、演劇は言うなれば台本を原作とした映像作品。
実際に演じられているので映像ではありませんが、ここでは例として。
このように、原作側が限界まで歩み寄る事。
これも、メディアミックスの一つの終着点となりえるはずです。
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まとめ
みんなちがって、みんないい。
以上、自称隠れ原作厨の思うアニメ化のげんなりポイントでした。
最悪の場合別作品になってもいいから、劣化コピーだけはやめてくれ、というのが個人的な意見。
このへんの許せない線引きは人によって違うと思いますケド。
別作品になるならオリジナルでやれって話ですし。
んー、古い映像作品を今の技術でアニメ化したら、絶対面白いと思うんですけどねー。
どこか作ってくれないかな。