小学校時代の自分の質問に答えます。

高校受験を2回、高卒認定試験を1回成功させているニートが、学校での勉強という行為について少し考えてみた話。

受験の成功回数だけで言えば、一般的な大学生よりも1回多いから!

ぼく

まぁ学生生活は失敗してるわけだけども

Q.何故、生活と関係の無い勉強をさせられるの?

ぼく

A.生活に関係ないから

小学校レベルならいざしらず、中学校以上の授業は、日常生活とはかけ離れたものを勉強する。
つまり、ほぼ全員がその分野の知識を0から学ぶことになる。
言い換えれば、テストの点数はそのまま「知らないことを学び身に付ける力」と言い換えることができる。

たとえば、あなたが医療従事者になりたいとする。
その場合、日本国を始めとした先進国では、専門の学習機関での経験を必要とする事が多い。
これは間違った知識で医療行為を行わせないためである。

専門の学習機関では、もちろん医療行為に重要とする知識を全て学習する(体裁上は)。
逆に言えば、極論ではあるが学習前に医療関係の知識は一切必要ないとも言える。
医学部の新入生にに必要となるのは、決して解剖学の知識ではない 「学ぶ力」なのだ。

いかなる分野でも、高校や大学の入学試験に学校での知識を求められるのはこれが理由であろう。
学校は学ぶ場というよりも、学ぶ力を身に付ける場と考えたほうが適切だ。
例には医療を挙げたが、何も医療に限った話ではない。
大抵の事柄を成すにあたり重要なのは、何よりも「知らないことを学び身に付ける力」である。

Q.なんで学校ではお金にならないことばかり学ぶの?

ぼく

A.学校で勉強するから

これは「にわとりと卵」的な話だ。
仕事に直結しない内容を学ぶのではなく、学校で学ぶから日本では仕事にできない。

そもそもお金を稼ぐという行為は、同じだけのお金を支払う誰かがいるから成立する。
お金を支払うのも人間である以上、動機は誰もが同じだろう。
理由は様々であれ、自分はできない・しないことをやってもらうかわりに対価を支払うのだ。

対して、学校で勉強する知識は、日本国民のほぼ全てがある程度理解している。
足し算をやってもらうために多額の報酬を支払う人間はなかなかいないだろう。
どれだけ教育が高等化してもこれは同じだ。

実際、学校で学ぶ内容自体は先進的なものである。
もし掛け算をできる人間が世界で1人だけならば、数多の企業から引く手数多なのは想像に難しくない。

ちなみに単純作業の業務は、雇う側の手が足りなくて「できない」ために報酬を支払う形。
遂行できる人間が多ければ多いほど、さらに安価で請け負う者がでてくるので、手間・時間の対価が少なくなる傾向にある。

逆に娯楽は義務教育知識を前提とするものが多い印象。

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Q.勉強なんて、将来何の役に立つの?

ぼく

A.将来の役に立つ知識を得るために役立つ

ぶっちゃけ日常生活を送るにあたり、普通科高校までに学ぶことを直接活かせる場面の数は限りなく0に近い。
ただ、いわゆる「将来の役に立つ知識」を得るには、世界史や数学といった知識まで必要になる仕組みになっている。

まず、そもそもの「将来役立つこと」について考えてみよう。
これを多くの人は、就労に役立つ知識や、人間を肉体的・精神的に救う技術と捉えているはずだ。

これらの知識・技術をあなたが日本で身に付けようとすると、専門学校や大学といった機関に頼ることとなる。
また、それらを行使するためには相応の資格が必要になることも多い。
社会に密となる技術であればあるほど、学歴及び経験が必要になるだろう。

キツい言い方ではあるが、日本には「高校程度の勉強すらできない奴が、健康や社会に直結する知識を理解できるわけがない」という考え方があるということだ。
仮にあなたが違う考え方であっても、日本が民主主義国家である以上、多数派の考えには従わざるを得ないのが実情である。

もちろん、俗に言う「一般企業」に勤める場合でも、就活などで学歴は十分な武器となる。
学歴が人材の価値となることは無いが、知識の吸収や応用に長けるアピールにはなるのだ。
企業は経済活動を続けるうえで、賃金以上の利益を生み出す人材しか必要としない。
戦力になるまでの期間が短ければ短いほど魅力的なのは、説明の必要もないだろう。

ほぼほぼ同じ人材が応募してきたとしたら、最終学歴イケてるヤツの方とるやん?