どうも、コミュ障hkmです。
日本では、とても容易な事の例えに、「赤子の手を捻る」という慣用句があります。
でも、冷静に考えると「赤子の手を捻る」って相当難しくないですか?
……えぇ。お察しの通り、捻くれ者が慣用句の揚げ足を取るだけの雑記です。
赤子の手を捻る
力が弱くて抵抗しない者はやすやすと扱うことができる。物事がきわめて容易にできることのたとえ。赤子の腕を捩 (ねじ) る。
捻らずとも、ほろほろと崩れてしまい増そうな赤子の手。
大抵の方が、一度はあの触れるのすら怖い、小さなお星様と相見えた事があるのではないでしょうか。
さて、確かにあの手であれば、捻るのに必要なエネルギーはごく僅かで済むでしょう。
だからこそ、過激である例えであり。強いインパクトがあるからこそ、心象に残り。
慣用句になるべくしてなった言葉と言えます。
この過激さ、インパクトには数多の興味をひきつけるようで、やれ
- ひどくね?だとか
- 他にたとえ無かったの?だとか
そんな意見が散見されます。
でも、ちょっと待って欲しいんです。
ひどい、ひどくない以前に、そもそも赤子の手って捻れますか?
無理
いや、無理。
正直に申し上げて、赤子の手を捻るなんて、僕には無理です。
人道的に捻れない、なんて簡単な話ではありません。
恐らく本能的な部分が邪魔をするはず。
ぶっちゃけ、血のつながっていない赤子に触れる事すら怖いですもん。
つまり、自分の首を絞めたり、骨を折ったり、爪を剥がしたりするのと同様に、圧倒的な「意志の力」が無ければ達成できない所業なのではないか?と。
「する/しない」の問題以前に、「できる/できない」の問題でできないんじゃないかなぁ。
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インパクトはあるけど……
赤子の手をひねるように。
この言葉を拝見するたびに、「容易」とはまた少しズレているように感じるのです。
それとも、武士は赤子の手を捻るにも厭わない屈強な精神の持ち主だったのでしょうか。
……あれ?「今の日本が平和」って結論に至るだけか?これ。