昨今よく見かける『語彙力』という単語。

読んで字のごとく語彙の豊富さを表す指標なのですが、著者にはどうにも違和感が拭え切れません。

それどころか、『語彙力』ほど語彙の乏しい言葉も無いだろ、ってな印象すら受けてしまう……というのが今回のお話。

とはいえデジタル大辞泉には掲載されている単語なので、あくまで著者が日本語そのものにイチャモンを付けているだけだということは念頭に置いていただければ幸いです。

ぼく

こういうのを書きなぐれるのが個人ブログのいいとこ

『語彙』に『―力』を付けるのは重複表現

そもそもの違和感の正体は、「語彙」と「~力」の結合が理にかなっていないため。

「語彙」という熟語は、対象が擁している単語を表しており、すでに一種の指標。「言葉の品ぞろえ」などと認識すればわかりやすいと思います。

対して、「~力」という表現は、”~”の部分を行う能力のことを指します。つまりは「~を遂行する能力」であり、動詞を指標に切り替える表現。指標をさらに指標化してしまうため、一種の重複表現にあたります。

ぼく

それこそ「品揃え力」みたいな表現になっちゃう

『―力(りょく)』とは

  1. 肉体的、精神的なちから。「握力・学力・気力…」
  2. その物に備わる働きや勢い。「圧力・引力・火力…」
  3. 力を尽くす。つとめる。「助力・努力」

さて、「○○力」ということばは、大辞泉によれば3つの意味を持つそうで。

その中で、語彙力に使われている力の意味はしいて言えば上記引用の2番でしょうか。○○する力や能力・度合いに該当します。

行動力であれば行動する力。攻撃力であれば攻撃する能力。――といったように、単体では「する」「しない」でしか別けられないような単語を、どれだけするのか仔細に表すために装飾する言葉なのです。

ぼく

主に動詞ってやつ

つまり「○○」には主に行動や運動が入ります。もちろん自ずと「―する」を接続しても違和感の無いものになるでしょう。

『語彙』はすでに指標である

  1. ある言語、ある地域・分野、ある人、ある作品など、それぞれで使われる単語の総体。「語彙の豊富な人」「学習基本語彙」
  2. ある範囲の単語を集録し、配列した書物。「近松語彙」

対して、『語彙力』では「力」にて指標化されている『語彙』という単語。

意味するところは対象が擁する「表現の引き出し」ですから、単体で「量」を表す指標としての役割も担っています

引用文における「語彙の豊富な人」などからもわかるはず。「語彙が豊富」「語彙が乏しい」などの表現を見て、違和感を感じる方は少ないのでは。

ひっかかりを利用して用いることも

ただ例外として、この『語彙力』という単語が書籍のタイトルなどに用いられることもあります。

ただ、これは語彙力という単語の正しさを裏付けるものというよりは、違和感を利用した印象付けとしての側面が強め。

書店における出版物の売り上げはタイトルや表紙・帯などに大きく左右されますから、造語を用いて目につきやすくするのはメジャーな手法と言えます。

ぼく

たとえば堀江貴文氏著の「多動力」とか?

本気で使うと恥ずかしい思いをするかも

以上、定期的に見かける『語彙力』という単語の違和感についてでした。

もちろん、そもそも言葉の目的は情報の伝達にあります。伝え方よりも伝える内容が本質で、コミュニケーションにおける単語や文法が正しいことに大きな意味はありません。

言葉として間違っているから否!と言い切ってしまうと、標準語以外の方言や文化どうなんだって話にもなりますし。

ですが、「『語彙力』を付けたい」などの使い方で情報”発信”をしてしまうと話は別。

用いている単語そのものがいわゆる『語彙力』とは反する位置にありますから、学習意識の高さをアピールするどころか、えてしてツッコミ待ちのボケにすら見えてしまいます。